大人と小人
大半の人が一回は疑問に思うことシリーズだと思います
大人になるとは何なのか
ただ年齢を重ねれば大人になれるのか
自分を抑制して他人に合わせて生きることが大人のあり方なのか
やりたいことをやり言いたいことを言う人は小人か
「自我の意識は個人から集団、社会、宇宙と次第に進化する...」
宮沢賢治、農民芸術概論要綱の一節です
小人から大人への成長というのは、まさにこれだと思います
最初は一人よがりの小さい自分から、次第に共存を意識した大きな自分への進化です
もちろん、年齢を重ね身体が大きくなることも大人になるということですが
それは子どもから大人への成長です
人間は肉体と精神の二つで出来上がっているので、その両方がバランスよく大きくなって大人になります
我慢ができるの人が大人だとよく言われるのは、共存の意識が根本にあるときにはじめて成り立つのであって、絶対的な条件ではありません
人間一人では生きていないということを理解した上での我慢は、周りのことを考えられている大人だからできることです
しかし、やりたいことを我慢し諦めるというのは極力するべきではないです
人間の人生は一回限りで、しかも世の中には一回だけの人生では経験できないくらい多くのもので溢れかえっています
そんな中でさまざまものに挑戦してみるのも良し、一つのものを極めてみるのも良しです
肝心なのは自分の好奇心に素直に従い、行動することだと思います
確かに年を重ね社会に生きるようになると、さまざまな制約が生まれてしまいます
さらに世の中に蔓延る多種多様な暗黙の妖怪や、嫉妬深い人達が作り上げた常識みたいなものが、小さいときから縛り上げてくるので、できる人は限られてきます
しかし重ねた年齢と知識と知恵は無駄ではなく、それを駆使できるようになれる大人こそ、よっぽどやりたいことを効率よくできるわけです
なぜ好奇心に従い行動することが肝心だと思うのか
行動すればするほど、バラエティ豊富な経験ができますし
前に進もうとすればするほど、苦労もやってきます
この経験苦労こそ、宮沢賢治のいう自我の意識の広がりにつながると考えています
蛇の道は蛇で、経験と苦労を知っている人は思いやりの気持ちを持っています
誰かを思いやれるということは、その誰かと自分を重ね合わせて考えられるということです
それができたときその誰かは他人ではなく、自分になります
次第にそれは集団になり、社会になり、宇宙になり自分は大きくなります
宇宙は超越しすぎだとは思いますが、身近なところで言えば地球です
人間が大人になるということは、こういうことだと思います
同じ人間でも、長い時間生きていればその分多くの経験苦労をしているかもしれないし
まだ短い時間しか生きていないのであれば、それほどはしていないだろうなと思うかもしれません
年齢はそういったその人自身の大きさを判断する勝手な基準の一つに過ぎません
勘違いしてはいけないのが、好奇心に従って行動すること自体に目的を置きすぎないことです
そうなってしまっては、いつまでも地に足が付かず世捨て人にもなりかねません
目的の置き場は自分を大きくするということで、それは土台作りの一環です
しかしそんなことを言っても、「世の中の常識」主義の人たちが大半を占める社会においては未だ認められないものです
しかし彼らには彼らの世界があり、そこに込められている思想もあります
完全には理解できなくても知ろうとしなくてはいけません
批判するのは楽なことですが、楽して大人になれば痛い目を見るのは結局自分ですので